1969 松本俊夫監督 105分
ご存知ピーターのデビュー作
当時16歳
六本木からスカウトしてきたピーターに限らず
あとの少年たちも
実際のゲイボーイたちを使っているらしいです
これねえ
たまたまテレビつけたらやっていて
あまりのかっこよさにくぎづけになったー
実験映画的手法がちりばめられています
かしゃかしゃ切り替えられる映像
ピーターへのインタビュー映像も盛り込む
現実と創作のあやふや
モザイク的っていうのかなあ
淀川さんも パッチワークの一部
重そうに見えて
意外にポップにポップにすすむ
三人並んで街に繰り出す様子は
ピチカートファイブのビデオクリップの原点みたい
BGMの使い方もおみごと!
前衛的になんでもかんでもやりたいようにおもむくままに作り上げたあとは
意外にというか
正攻法というか
文学的に幕を閉じる
60年代末
当時ハタチくらいの人が今還暦を迎えてるわけですね
“いまの若者は~” なんてフレーズは
古今東西の決まり文句ですが
あーんな時代をすごした人たちに何言われたって ・・
これ
ほんまよかったですよ
ほんま。
“ベルベット・ゴールドマイン” が すごく薄っぺらにみえちゃうもん
あんなに好きやったのに
1968 英仏合作 ジャック・カーディフ監督 91分
マリアンヌ・フェイスフルが峰不二子のモデルだって
ほんまかなあ
素肌に直接ツナギを着てバイクにまたがりすっとばす~
ってのが その理由なんやろうけど
不二子さんにしては 少々こどもじみているのでは
とびぬけて上流でもないけど
箱入りお嬢さま育ちの若い女の子にありがちなおはなしじゃないのかなあ
妄想にすぐ走るところも かわいい女の子っぽい
この映画の売りは 単純さ
バイクと
セクシーにがんばってるかわいい女の子と
アランドロン
ストーリーもこのうえなくシンプル
“ラン・ローラ・ラン” 並みちゃう?
何が腑に落ちないって やはり
不二子さんモデル説
だいたいさー
不二子さんが男の人にふりまわされるなんてことありえへんやん
アランドロンといえどもさー
ないない ぜーったいない
でも きらいじゃないです この映画
2002年 富樫森 監督
原作は ひこ・田中
小学校六年生の男の子が主人公
思春期を迎え
クラスの男子・女子とのやりとり
初恋相手は女子中学生
素朴に素直にまっすぐなこころやさしい彼は
とんでもなくヒーローなわけではないけれど
このうえなくいいやつです
大林宣彦監督の“青春デンデケデケデケ”なみに
男の子らしい男の子
最近の思春期ものによくある
あつかいのむつかしさ 痛いくらいの繊細さとはだいぶちがう
女の子も
彼に負けずおとらずきもちがよい性格
いいなあこういうの
いいなあいいなあ
健康さを全面に押し出してあるものは 一歩ちがえばうっとおしいのですが
映画に関しては そういう意味での嫌いなのはあんましないかなあ
見てないだけかなあ
“青春~” も “ごめん” もだいすきです
エンドロールには “映画を教えてくれた相米慎二さんに” のメッセージ
1996 仏 Nicolas Philibert 105分
口角をあげての笑顔が美しいなんて 誰が言い出したんだか
口角あがらずとも不器用に笑う顔の なんと魅力的なことか!!
自然光と緑たくさんの中の施設
真摯に向き合う職員さんたち
これまでの不快さを表情に埋め込んで
ここでようやくよろいをはずしつつあるひと
みどりの庭をよこぎる利用者
ロングショットで撮る風景は とても調和のとれた美しい世界
映像でなく
五感すべてで感じられるリアルな位置で過ごすと
この美しさは減るものなのか
増えるものなのか
わからんけど
けっこうみんな調和がとれてそうで
なんだか
いいなあ
1992 仏 Nicolas Philibert 99分
“ぼくの好きな先生(2002)” の監督さんです
聴覚障害者へのインタビューを交えた これまたドキュメンタリー作品
過去 私の通っていた小学校は
聴覚障害の子どもたちも同じようにクラスで学んでいまして
コミュニケーション好きのクラスメイトたちは
部分部分 手話を覚えて ときどき取り入れていたようです
私はといえば
かなりの人見知りで いっさい口をきかず
他人とのコミュニケーション要求なんていっさいなかったので
手話も他人事やったなあ
彼ら彼女らはそんなわけで
団体生活の中 私よりもはるかに適応していたので
聴覚障害者の 特殊な世界というものには意識がおよびませんでした
視覚障害者の世界には かなり興味やある意味あこがれに近いものもありましたが
―――
そんなこんなで “音のない世界で”
何人ものインタビューや
教室の風景
授業の様子
そこではじめて知る未知の世界
音声で言葉を使う者は 違う言葉の国に入ったとき
二ヶ月過ごしても ろくに意思の疎通できないが
ろうあ者は 二週間もいれば 会話が可能に
なにより
補聴器をつけたら あまりの騒々しさにうんざりした
補聴器をつけずに過ごす今は
とても静かな清らかな世界で快適~
あんな雑音の世界で生きるなんてまっぴらごめん
もー 目からうろこポロポロ!!
聴覚障害者ばかりの一族
次に生まれてくる子どもも聴覚障害のほうがいいなあと
自分たちと世界を共有できるからと
耳の聞こえる者が大多数を占め
世界は多数者の優位にできあがっているのは当然といえば当然
なので その世界で暮らすことは
不便がつきまとうだろうけど
音のない世界で 集落をつくって暮らすというのは
しずかで他の感覚がきわだって ―――
美しい世界に
思いをはせる
現実に私は体感できないからなおさら想像は美化されます